「長靴をはいた獅子たち」予告編 | Trailer
長靴をはいた獅子たち_
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3m 19s
人口80名の小さな集落。そこに生きる人々の生活と民俗芸能の物語。
文部科学省選定(成人向)
秋田県由利本荘市から鳥海山に向かって16km、電車もバスも通らない屋敷集落は、人口約80名の小さな集落です。兼業農家がほとんどの屋敷集落は、日本のどこの集落も直面している、若者の流出と高齢化という問題を抱えています。また同時に、集落のアイデンティティーともいえる民俗芸能『番楽(ばんがく)』を、いかに次世代に継承していくかという問題にもさらされています。両方とも出口の見えない議論の種ですが、集落の人々は『番楽』によって強く結びつき、今の時代をたくましく、かつ愉快に生きています。
ドキュメンタリー映画「長靴をはいた獅子たち」は、そんな屋敷集落の人々の生活と、彼らが愛し、守り続ける『番楽』の1年を追った作品です。
屋敷集落と民俗芸能『番楽』
鳥海山のふもと、冬は雪に閉ざされますが、四季の豊かな自然に囲まれる屋敷集落。そんな屋敷集落は代々、専業農家による米作りが中心の集落でした。しかし昭和40年以降は、農業に機械が導入され、高額な農機具の購入、そして米価の下落も重なり、農業を生業とすることが難しくなり、すべての家が兼業農家となりました。労が多く収入の少ない農業、より高学歴を求める社会風潮も背中を押し、若者は成人すると都市へ流出する現象が、ここ数十年続いており、集落は高齢化の一途をたどっています。
農業が集落のアイデンティティであれば、民俗芸能『番楽』も集落のアイデンティティと言えます。『番楽』は、それだけ生活に密着したものでした。
『屋敷番楽』の起源は、江戸時代中期、天明3年(1783年)。当時の日本は、近世における最大の飢饉、『天明の飢饉』に見舞われていました。死者は7年間で30~50万人。屋敷集落もその例外ではなく、集落の人々は、これ以上の死者を防ぎ、悪霊退散、五穀豊穣を祈るため、『獅子舞』舞いました。『獅子舞』は、その後の伝承の過程で、道化舞、武士舞などの 娯楽的演目も加えられ、いつしか『番楽』と呼ばれるようになり、集落の人々に愛され続け現在に至っています。
そんな『番楽』は、集落の人々の祈りや娯楽としてだけでなく、集落の中で重要な社会的機能も果たしていました。組織の中では、師匠と弟子という人間関係が成立し、人間教育の場、人格形成の場でもありました。
ドキュメンタリー映画による現代の民話。
ドキュメンタリー映画「長靴をはいた獅子たち」は、6つのエピソードで構成されます。
獅子の誕生(種まきから田植えまでの物語)。獅子の心(『番楽』に育てられた青年の物語)。獅子の絆(『番楽』で結ばれた青年たちの物語)。獅子の舞(奉納と公演の物語)。獅子の祈り(悪霊払い『門獅子』の物語)。黄金の獅子(収穫の物語)。そしてエピソードの中では、秋田の自然の中で『番楽』が舞われます。集落に生きる人々の思い、人生、祈りが、美しい田園風景の中に、染みこんでいきます。
現代における悪霊払い、祈り
私たちの身の回りにある様々な問題。リストラ、非正規雇用、ワーキングプア、格差、過疎化・・・。
『屋敷番楽』が、飢饉という悲惨な社会情況に対する“祈り”から出発したのであれば、今の時代にも『番楽』の存在意義は大いにあるはずです。
「長靴をはいた獅子たち」は、その土地の風土と、そこに生きる人々の生活、人と人との繋がり、そしてそれらと芸能の関係を見つめます。そして、作品自体が、現代における悪霊払いになればと願います。